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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

小説 蓮の露 1

    蓮の露
        序
 今田   東
 
 あたりはシーンと静まり返り、淡い光に包まれようとしていた。
 越後は長岡の福島、尼寺の閻魔堂に夕闇が訪れようとしている。  
 風が出たのか木々がかすかに触れ合い音を立て始めている。
 堂の中は狭いが何もないので広く感じられた。細かくかたずけをしている几帳面さがうかがえる。
 明かりとりに向かっておかれた粗末な小机に向かい筆を走らせていた三十半ばを少し過ぎているであろう尼が手元のくらさに気づいて手をとめた。いでたちは洗濯をよくするのかところどころ色を失っている墨衣をきているのが痛々しく見えるのだ。だが、背筋を伸ばし毅然とした佇まいは心の確かなあり方を見せていた。ふたえの少し大きな双眸は柔和に感じられるが頬の引き締まった顔には知性と何かに打ち込んだ強靭な姿がうかがえた。
 尼は顔をあげて明かりとりのほうを見る。
「もうこんなに時が過ぎている。あのころに比べてなんと時のたちのは速いのでしょう」
 尼は若かった頃のときの過ぎるのと比べている。

 尼が良寛に偶然会ったのはもう十四年前のことになる。輿入れの駕籠の中で童たちと手毬をつき歌う声を聞いてその主を見てみたいとすだれをあげたときであった。
 人の出会いとは不思議なものである。そのすれ違った縁が人の道を左右することになるのだから、神か仏のいたずらというしかない。

 薄墨を流したようになっている外の景色に目をやりながら己が生きてきた道を振り還りたどろうとしている。

 ぼろ布をまとった老僧が子供たちの輪の中に入って手毬を突いて童歌に興じる姿は滑稽に見えるが、その中にいても決して違和感がなく、むしろ一つになっている印象さえうかがえるのだった。擦り切れ色あせている墨衣はところどころ貼り継が見える。その姿に尼は頬を膨らませて息をはく。人が見たらこの坊主はおかしいのではないかと疑うだろうが、ほのぼのとした物を感じたのはどうしてか、瞳の柔らかな光がその様に見せたのだろう。その姿を包み込むようにかすみ草が咲き乱れて幻想の世界を伺わせ、見いる感覚に落ち込ませていた。
 
 尼になるまえの奥村マスが良寛とであったのは十七歳であった。
 
 今でもその時の歌う声音をしっかりと覚えている。マスは少しかすれて抑揚のない声が好きであった。その時は、その人が良寛であることは知る由もなかった。

 「良寛さまが輿入れの祝い唄を歌ってくれておる」
 供の誰かがそんな事を言っているのを聞いて初めて良寛なのだと知ったのであった。
 一期一会、マスにとってはそうではなかった。とこしえのものになったのである。
 医者の関長温に嫁いでも良寛のことは日夜頭の隅にいきずいていたのだ。待合で話す良寛の噂を拾い集めるのが日課になっていた。
「どうして気になり心から離れないのだろう」
 マスにとっては不思議な事であった。今まで生きて感じ思ったことのない心の文様であった。好きとか嫌いとかそんな感情ではなく、心に何か引っかかったような気になる存在なのであった。
 良寛の事が語られそれを聞いて心を弾ませるのだ。なんでも良かった、どんな些細なことでも身を乗り出して聞きたいというものであった。
 そんな思いを抱いてのマスの夫婦生活はうまくいくはずはなかった。頼りない夫と口やかましい姑に仕える苦労はあったが、良寛のことで救われる日々であった。
 臥薪嘗胆の五年間、夫は丹毒であっけなく亡くなりマスは親元に帰された。

 日本海の荒波の砕ける浜を見下ろしていた。砂を踏んで五人のごぜさの一行が渡っていた。頬被りをして左手に三味線を抱え右手を前を行く人の肩にやり連なっていた。
 実家に帰っが後添えにとか妾にという話が舞い込んでくるのでわずらわしく乳母の里の柏崎に逃げてきていたのだ。


 マスは声で思いを伝えるのに不自由があった。吃音が少しあって人の前で話すことをためらうこともあった。だからだんだんと内に籠る様な生き方をしていた。一人の時に本に親しみ空想の世界で遊びながら過ごした。そんな自分を持て余すこともあったが気にしないように努めた。
 整った顔のなかでも二重の好奇にくるくると動く澄んだ目が決して愚ではない利発さを表していた。

 乳母が二カ月のちになくなり経をあげてもらった閻王寺の民竜尼、心竜尼と親しくなった。暗くなる想いを二人の底抜けに明るい振る舞いで救われた。
「こんな生き方もあるのだ」
 マスは二人の生き方にひかれていった。
 いつしか還るあてのないマスは閻王寺に住み込み寺女のような生活をしていた。
 二十四歳になって得度をし髪を下ろした。
 マスは貞心尼となった。法名を孝室貞心比丘尼という。
 六年後貞心は長岡は福島の閻魔堂にいた。

 貞心尼は心の在り方で性格も変わることを自覚した。引っ込み事案の振る舞いも消えて人前に出ることを何とも思わなくなっていた。経を読んでいてもよどんだり繰り返すことなどなんとも感じなくなって積極的に生きるのだった。
 
 良寛が国上山の五合庵でどのように過ごしたか、乙子神社の草庵での暮らしも熟知していた。そして、今は島崎は木村様宅の離れで過ごされていることも知っていた。
「一度お会いしに行こう」
 そのことは閻魔堂に来てすぐ思いたった事であった。近かった、信濃川を船で下り歩いて塩入峠を越えればいいのだ。四里の道のりであった。
 良寛について欲しいと蕨の綿を芯にして糸でかがり手毬をこしらえていた。着てもらおうと思い肌着を縫った。
 
 これぞこの 仏の道に遊びつつ
     つくやつきせぬ みのりなるらむ

 この日のために一首詠んでいた。

 マスは和歌を詠むのが好きであった。幼いころは外に出ることも人に会うことも、言葉を声にしづらいというせいか苦手であった。終日家事をする以外は部屋にこもり書物を読みふけっていた。言葉をこよなく愛していたということになる。何事にも几帳面であらゆるものを正確に見つめるたちであった。

 能登屋のお内儀にそれとなく良寛に会いたいと事づてをした。
「良寛さまはお人と会うのが苦手な方なので突然お会いなさればいいと思います」
お内儀はやさしくそう言った。
 突然にお邪魔をしてもいいのだろうか、驚いて不機嫌になるのではないだろうか、貞心は色々と想いを巡らせた。 



 良寛は出雲崎の大庄屋、橘屋の跡取り息子山本栄蔵として生まれた。平らに時が過ぎていれば山本栄蔵として何不自由もなく人生を全うしていたことだろう。
 だが、ひとの定めとは時に悪戯をする。父親の左門泰雄は商いに向いてなく五七五に魅せられ惹かれ以南と号を持つ程の歌うたい。だんだんとお日様が当たらなくなって家督を栄蔵に譲ってしまった。
 栄蔵は十七歳で庄屋見習いになった。
 代官所と村人の仲を取り持ち、佐渡の金山から送られてくる金を荷揚げすることになる。
その頃、飢饉が続き百姓一揆が起こりその斬首に立ち会い胃のなかのものを吐き卒倒した。栄蔵は名主の重圧を受け止めることができなかった。栄蔵は女に酒にと溺れる日々が多くなって行った。そして、何もかも放りだして光照寺へと逃げ込んだのであった。
 そこで寺男のような生活をしてのんびりと本ばかり読んで暮した。
 以南はそんな栄蔵に見切りをつけて弟の由之が後を継いだ。
 実家から仕送りを受けながら四年間過ごしたことになる。
 二十二歳のときに大忍國仙和尚が越後に来られ得度し剃髪をして仏門に入った。
 國仙和尚は栄蔵の顔をじっと見て「大愚良寛」と名付けられた。
 良寛は國仙和尚に連れられて備中玉島の円通寺にやってきて、そこで十三年間修業をすることになった。
良寛はその修業の中で縋るように仏の道を修めた。が、知れば知るほど、縋ればすがるほど身を縛られる事を感じた。
 良寛は円通寺の庭に出て遠く瀬戸の海を眺めることが多くなっていった。小波に操られながら漁をする舟を眺めながら人間の道もまだ同じなのだと思った。

 同輩の仙桂が田地を耕して作物を育て汗をかいているのを見ても何も感じなかった。道元の教えの「只管多坐」のなかには「一日作さざれば一日喰わず」という教えがあるがその言葉の真意を理解しようとせず、経典の中に救いを求め生き死にの導きに縋ろうとしていた。
 そんな日々の中に良寛はいてもなにもすることなく日向ぼっこをしながら内海の波が返すまたたきを見つめるだけだった。この当時にはうたの心も持ち合わせてはいなかった。
 そんな日々で良寛の心に芽生えたのは虚無であったのか、師の國仙和尚が示寂された後良寛は円通じをさった。手には國仙和尚から下された「印可の下」、どこの寺の和尚になってもいいと言うお許しの言葉が書きつけられたものを持っていた。
 良寛のそこ後の足取りは良寛しか知らない。
 四国の山奥で万葉集を読みあさっていたとか、西行のあるいた道のりをなぞったとか諸説あるがそれは分からない。
 生まれ在所の越後には何度か足を向けている。
 諸国の遍歴の後に良寛は落ち着くべくして故郷へ帰った。
 国上山の五合庵と乙子神社の草庵に、二十数年の歳月を過ごしている。そこを終の住処とするように帰り一人でひっそりと生きている。
「僧にあらず俗に売らず」一人の人間としての煩悩に苛まれながら生きる日々を迎えたと言えよう。良寛は決して悟りを開いてはいな
い。精神を解き放ち自由に思うままに生きていたのだ、
 良寛は七十になってそこから島崎は木村家の離れに暮らすことになる。
 話をもどそう。
 ここから良寛と貞心尼の交友が初めて行われるようになる。

貞心は長岡の閻魔堂の庵主になっていた。
 良寛七十、貞心には三十の時である。

貞心は良寛の事を思えば心が熱くなり何も手につかなくなる時が多くなるように感じていた。
貞心は自分の心に素直になろう、そのためには良寛に会いたいと言う想いが尽きることなく打ち寄せていた。
 春の季節を選んで長岡から島崎へと、信濃川の渡しを渡り塩の入り峠を越えて島崎に足を運んだ。新芽がはじけて花を付ける道沿いを貞心は軽やかに歩んだ。この道は冬には雪に閉ざされる、この春の季節と夏の日差しの中と、秋の芒のなかを何度通えるのかと考えていた。それも良寛様にお会いして気にいってもらえればの話、だけど、貞心には良寛に気にいってもらえるという自信があった。貞心は心の動きを正確に表に出す性質を持っていたからそれを素直に出すことでいいと思っていたのだ。



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